学ぶ終活

お墓、葬儀、供養のほんとうの意味

家族葬の参列辞退 遺族と参列者の双方から考える

   

こんにちは。十村井満です。

昨今のお葬式はすっかり家族葬がスタンダードになってしまいました。
いまさらながらですが、
家族葬とは、家族親族のみが集まって執り行う葬儀スタイルです。
すると遺族側は、ご近所さん、会社や学校、さらには故人や遺族の関係先などに、

「葬儀はしますけど、すみません、参列はご遠慮ください」

という旨を申し出るわけですね。

家族葬 参列辞退

今でこそ、「家族葬」という言葉は市民権を得ているので、
言う方も、言われる方も、驚いたりはされないでしょうが、
この、参列するしない問題は、結構微妙で、とてもデリケートです。
今日は家族葬の参列辞退を、遺族と参列者双方から考えてみます。

そもそも、お葬式は誰のもの

「家族葬」という言葉に対して「一般葬」という言葉があります。
家族親族以外の方にも参列していただくスタイルが、「一般」だったわけですね。
ところが、今や家族葬こそが一般化しているので、
従来の葬儀スタイルをわざわざ「一般葬」と呼ぶようになったわけです。

さて、お葬式は誰のためにするのかというと、死者のためであり、遺された人たちのためです。
「遺された人たち」には、家族や親族だけでなく、故人と生前に関係を持った多くの人たちも含まれます。
この方々の参列の権利を、喪主たる家族が制限するわけですから、
少し激しい言い方をするならば、それ自体、暴挙だとも言えますし
そのような慣例が受け入れられる現代社会を、十村井自身は危惧しているわけです。

※家族葬の発生や意義や功罪については拙ブログ「家族葬で得たものと失くしたものと 家族葬を考える」をご覧ください。

まあ、個人的な考えは置いといて・・・。

家族葬は暴挙? 配慮? 

家族葬という選択は、たしかに一方では暴挙ですね。
でも一方では配慮でもあるわけです。

暴挙と配慮の差は、相手のことを思いやったかどうかによって決まるのではないでしょうか。

十村井家の家族葬で、ちょっとシミュレートしてみましょう。

<登場人物>
十村井満造(故人。享年80)
十村井満太(喪主。満造の長男)
十村井満 (孫。満太の長男)
奥弥美子 (満の幼なじみ。満造ともよく遊んだ)

<葬儀の場所>
都内某所

ケース1) 事後報告に苦言を呈される

オレは十村井満太。父が亡くなった。80歳だ。
母は、10年前に他界している。
ずーっと介護施設に入所していて、仲の良かった友人もみんな先立たれた。
父をお見送りするのはオレたち子供たちの家族だけ。
喪主は長男のオレが務める。
東京で葬儀をするのだけれど、田舎の親戚たちはみんな九州だ。
予め亡くなったことを伝えると、上京すると言い出しかねない。
九州の親戚だって高齢だし、普段そんなに顔を合わすわけじゃないからと、
とりあえず自分たちだけで家族葬を執り行って、事後報告した。
すると、苦言を呈された。
「なんで先に言ってくれなかったの」
「兄弟の葬式に立ち会うことができないなんて、想像もしてなかった」

まあ、よくありがちな話ですよね。
実際に私の担当した喪家でも、このようなことがあったと教えて頂いたことがあります。

ここでのポイントは
「九州の親戚だって高齢だし、普段そんなに顔を合わすわけじゃないから」
という箇所ですよね。
たしかに九州から高齢者が上京するのは大変です。
でも、その労力と参列をてんびんにかける時に、どちらに傾くかは人それぞれです。
その人のための葬儀ならすぐにでも駆けつけたい! と思う人なら、
喪主のこの振舞いは非難の対象になりかねないわけです。
なぜなら、お葬式は家族のためのものでなく、故人と関係を持った全ての人のためのものであるからです。
結局、「九州の親戚の相手がぎこちなくなって面倒くさい」という本音の裏返しが凶とでた例です。
満太、無念!

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ケース2) 勤務先の会社に参列を辞退する

こんにちは。十村井満です。
80歳になる祖父が亡くなった。
会社の人たちから見ると自分の祖父なんて遠い存在なのに、
わざわざ参列してもらうべきなのだろうか。
ただでさえ社内は忙しいというのに、忌引きを取得することすら気が退ける。
家族のみんなとも話し合って、家族親族以外の参列は丁重に断ることにした。
会社側もそれを了承してくれた。
すると通夜の日に、会館にひとり上司がやってきた。
私も家族みんなも驚いて恐縮したけれど、
「わずかばかりだけどみんなからだ」と部署一同の名前の香典を差し出してくれて、
お焼香だけして引き取ってくれた。
とてもありがたい気遣いだった。

この上司の行動を迷惑と取るかどうかは人によるでしょう。
「後日職場で香典上げればよかったじゃん」という意見もあるでしょう。
でも、私はここには、お互いへの配慮気遣いがあふれていると思います。
故人の孫は、会社の人たちへの参列を呼びかけることで社内に迷惑をかけてしまうと。
そして逆に会社の上司は、みんなで押し寄せると迷惑だし、
それでも香典を包んで少しでも供養の足しにしてもらおうという判断で、
代表して一人で参列し、家族葬を望んだ遺族に迷惑が掛からないようにお焼香だけして退き下がったわけですね。
そして、わざわざ足を運ぶ。これが大事なんですね。
お金や物ではない。故人のため、遺族のために足を運ぶ、というのが実は最大の弔意の表し方だと思います。
いい会社に勤めたな、満!

家族葬 参列辞退

ケース3)それでも参列したくて会館に出向いてしまった

私は奥弥美子。満くんの幼なじみ。
満くんからLINEが来て、おじいちゃんが亡くなったらしい。
参列も香典も辞退して家族葬をするというのを聞いた。
母に相談しても、自治会からもどこからもその話を聞いてないというから、
本当に誰も呼ばずに家族葬にするんだわ。
でも、迷惑かもしれないけれど、どうしても弔意を伝えたくて、私は会館まで出向いた。
小学校の時に一緒に野球に連れていってくれたり、
縁側で将棋を教えてくれたり。
満造じいちゃんとの思い出はたくさんあるから、
迷惑かもしれないけれど、一目顔が見たくて、会館まで出向いた。
満くんも、おじちゃんもおばちゃんも驚いてたけど、
「弥美子ちゃーーーん」と喜んでくれた。
迷惑だったかもしれないけれど、参列できてよかったです。

たしかに、遺族の意向は尊重するべきものです。
でも、「どうしても最後に顔が見たい」という想いもまた、尊重されるべきですよね。
ですから、万一参列の方が見えたとしても
遺族の側はそれをありがたいものとして受け入れる方が、全ての人にとっていいように思えます。
よかったね。弥美子ちゃん!

家族葬 参列辞退

義理の「わざわざ」が、胸を熱くする

義理で参列するくらいなら、しない方がいい
という言葉をよく聞きます。
心のこもってない行動は不要だ。ということなのかな
たしかにそうなのかもしれません。
でも、義理ってそれだけなのかな、とも考えるわけです。
行動が先に来て、心があとから付いてくることもあるし、
心のない行動をしないままで、心はどこから生まれてくるのでしょうか。

なんか精神論みたいでイヤなのですが、
でもお葬式って、その精神性を司る儀式だから、
形式も大事ですが、心の問題、気持ちの問題はとても大事だと思うんですね。
家族葬という形式は、心の、気持ちの問題もケアしてくれているでしょうか?

仮にあなたの主体的な行動が義理から始まったものだとしても、
受け手がそれで喜んでくれたら、よくないですか?

家族葬という選択そのものは否定できません。
そもそも社会構造がそのようになっているわけですからね。
葬儀や死者との関係性は、そのままこの世を映し出します。
参列を制限する家族葬が主流となっているのは、
血縁や地縁や社縁やといった人間同士のつながりが希薄に疎遠になっていることを意味します。
(その反面、ネット空間でのつながりは濃密になってますからね、つながりの絶対量そのものは変わらないのかな?)
そんな中、無理に参列をする必要はないと思います。
でも、家族葬は、参列したい人、あるいは故人が参列してほしいと考えている人の弔意を制限しかねないのですね。
その両面をよーく捉えておきたいものです。

家族葬 参列辞退

家族親族内に閉ざされた葬儀。
そんなクローズな社会よりも、オープンな社会の方が、楽しくていいのにな。
っと、家族葬から世相を眺めてしまうわけです。

自分の送別会に、たとえ「義理」だとしても、
わざわざアイツが来てくれた時の喜び。
別れの当事者になると、そんな義理でも胸が熱くなりますよ。
お葬式も同じだと思うんです。

今日もここまで読んでいただき、ありがとうございます。

人間関係って面倒くさいんです。
でもその面倒くささが人間の人間たるゆえんだと思います。
人間の死を人間らしく。
もっと開かれた葬送を、十村井は望みます。

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